テレビドラマ『銀河の一票』が、多くの視聴者の心を激しく揺さぶっている。与党幹事長の秘書として政治の裏側を歩んできた星野茉莉(黒木華)と、市井の小さなお店を守るスナックのママ・月岡あかり(野呂佳代)という、本来交わるはずのなかった二人が東京都知事選挙に挑むこの物語は、単なるエンターテインメントの枠を超えた鋭い社会批評性を持っている。ここでは、このドラマが私たちの生きる現実社会に突きつける「正義」の本質について、言葉と仕組みの観点から深く掘り下げていきたい。

なお、本作はまだ最終回を迎えていない。あかりたちの選挙戦がどのような結末を迎えるのか、そして政治の本流がどのような選択をするのかを見届けた後、最終回の内容を踏まえたさらに踏み込んだ総括をここに追記する予定とする。まずは、これまでに放送されたエピソードの中で描かれた強烈なメッセージを受け止め、(本当の)正義とは何かを考えてみたい。

ずるいルールと、届かない声──格差社会が隠す「24%の論理」

世の中には、多くの人が「なんとなくおかしい」と感じながらも、変えられずに従っているルールがある。その最たるものが、現代の政治や社会を動かしている仕組みだ。『銀河の一票』の第4話では、低投票率の選挙において、全体のわずか24%の票を獲得すれば当選できてしまうという、冷徹な数字の論理が提示される。そしてその24%という数字が、社会の中でもっとも生活が苦しく、納税が困難な世帯の割合と奇妙に一致するという指摘は、私たちが生きる現実の格差社会そのものを鋭く告発している。

いまの社会では、勉強ができる人、お金をたくさん稼げる人、大きな声で自分の主張を通せる人といった「強い人」たちに都合のいいルールばかりが作られがちだ。毎日を生きるだけで精一杯な人や、理不尽な環境で傷ついている人たちは、声をあげる元気すらくじかれている。選挙に行かない、あるいは行く余裕がない人たちの声は、最初から「存在しないもの」として扱われてしまうのだ。

このような仕組みの中で、あかり陣営が掲げたメッセージが、「誰も消えたくならない東京都」という言葉だった。

この言葉は、今の社会がどれほど多くの人を追い詰め、目に見えない形で「消去」しようとしているかを逆説的に示している。効率や利益ばかりを追い求める社会は、ついて来られない弱い立場の人を「自己責任」という言葉で切り捨てる。しかし、特定の集団だけが得をして、弱い人の声が最初から届かないような仕組みは、どれほど形が整っていても「ずるいルール」でしかない。本当の正義を語るためには、まず、そのずるい仕組みによって声を消されている人たちの実存(そこに生きているという事実)に、徹底的に目を向ける必要がある。

「きれいごと」を本当に「きれいなこと」にするために──冷笑の壁を打ち破る実存の力

あかりたちが掲げた「誰も消えたくならない東京都」という公約は、大人の社会、特に茉莉がいた政治の本流の世界からは「ただの理想論だ」「中身のないハリボテだ」と冷笑される。現実の社会でも、誰もが幸せに暮らせる世界を作ろうと言えば、決まって「そんなことは不可能だ」「世の中はそんなに甘くない」という反論が返ってくる。私たちはいつの間にか、立派な言葉を「どうせ口先だけのきれいごと」として片付け、冷めた目で見ることに慣れてしまっている。

しかし、劇中で語られた「きれいごとではなく、きれいなこと」という言葉は、その冷笑の壁を真っ向から打ち破る力を持っている。

「きれいごと」とは、自分の手を汚さず、都合のいいときだけ並べる中身のない言葉のことだ。それに対して「きれいなこと」とは、目の前にある理不尽に対して本気で怒り、本当にみんなが安心して生きられる世界を力強く、具体的に実現しようと動く姿そのものを指す。

世の中を変えようとするとき、一番の障害になるのは、強い人たちの反対ではない。周囲の「どうせ変わらない」という諦めや冷笑の空気だ。それは『動物農場』で描かれるロバのベンジャミンの姿でもある。政治の世界の不正や嘘にまみれていた茉莉が、あかりという「市井の生身の人間」と出会うことで変わっていったのは、あかりの言葉に嘘がなく、傷ついた人の痛みを自分のものとして受け止める「きれいなこと」を本気でやろうとする覚悟があったからだ。

本当の正義とは、頭の中で考える正しい理論のことではない。社会から「きれいごと」と笑われるような高い理想を、泥をかぶりながらでも一歩ずつ形にしていく地道な行動の中にしか、正義は存在しない。

「念のため」という本当のやさしさ──効率主義の仕様を書き換えるこれからの正義

ドラマの中で、視聴者の胸をもっとも深く突いたセリフの一つが、「念のため」という言葉である。

現代の社会は、スピードと効率を何よりも重んじる。システムを動かすときも、業務を進めるときも、「無駄を省くこと」が正解とされる。しかし、効率だけを突き詰めた社会の仕様(ルール)は、歩みの遅い人や、一度つまずいてしまった人を「無駄なもの」としてあっさりと置き去りにしていく。そこには、一人ひとりの人間に対する思いやりが欠けている。

本当のやさしさ、そして本当の正義とは、その効率主義のスピードをあえて止め、こぼれ落ちてしまう人が一人もいないように「念のため」確認し、何度も手をさしのべることではないだろうか。

「もう大丈夫」と言う人の心の奥にある傷に気づくこと。「誰も置いていかない」と決めて、最後に並んでいる人の手を「念のため」握り直すこと。一見すると、それは社会の進歩を遅らせる無駄な時間に見えるかもしれない。しかし、その「念のため」を惜しまない社会こそが、もっとも信頼が高く、結果として誰もが安心して生きられる強靭な社会を作るのではないか。

私たちがこれからの時代に作っていかなければならない社会のルールには、この「念のため」という温かい視線が、中心の設計思想として組み込まれていなければならない。強い人が決めた一方的な正義ではなく、一番弱い人の実存を肯定し、守り抜くこと。それこそが、ドラマ『銀河の一票』が今の格差社会に対して静かに、しかし激しく突きつけている批評の本質なのである。

あかりたちの戦いがどのような答えを導き出すのか、物語の完全な結末(最終回)を迎え次第、この正義の仕様書の続きをさらに深く追記し、論考を完成させたい。

追記すると、このドラマで描かれる友情も美しい。観ていて、何度も涙がでた。

「支配される側」から、仕組みを「所有する側」へ。

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