――なぜ制度は「途中」を許さないのか
政治とは、本来、
人々の生活から生まれた営みだった。
だが近代以降、
政治はある思考法に強く偏っていく。
政治は、帰納法を嫌う。
これは性格の問題ではない。
構造の問題である。
帰納法では「説明が遅い」
帰納法とは何か。
- 具体的な事例が積み重なり
- 例外を含み
- 時間をかけて
- 意味が浮かび上がる
思考法だ。
だが政治は、
- 今、説明しなければならない
- 今、責任を取らされる
- 今、決断を迫られる
世界で動いている。
たとえ①:記者会見と帰納法
想像してみてほしい。
記者:
「この政策は成功しますか?」
政治家:
「まだわかりません。
現場を見ながら、
徐々に判断します。」
――これは即座に失格である。
帰納法は、
「まだわからない」を
正直に含む思考
だが政治はそれを許さない。
政治は「弁証法でないと成立しない」
政治が好むのは、
- 賛成か反対か
- YesかNoか
- 勝ちか負けか
つまり、
弁証法的整理
である。
対立を作り、
そこから「合」を出す。
たとえ②:国会という蒸留装置
国会は、
- 多様な現実
- 複雑な生活
- 矛盾した感情
を、そのまま持ち込めない。
すべてを、
論点に分解し、
対立軸に整理し、
結論だけを残す
巨大な蒸留器だ。
帰納法は「責任の所在」を曖昧にする
政治で最も重要なのは、
誰が責任を取るか
だ。
帰納法は、
- みんなで試す
- 状況を見ながら変える
- 途中で修正する
という性質を持つ。
これは、
責任を分散させる
思考でもある。
政治にとって、
これは極めて扱いづらい。
だから政治は「制度化」を急ぐ
生活は発酵的だ。
- 家庭
- 地域
- 仕事
- 人間関係
だが政治は、
制度に落とせないものを、
存在しないものとして扱う
傾向を持つ。
帰納的な知恵は、
- 慣習
- 暗黙知
- 現場判断
として残るが、
法律の条文には書きづらい。
たとえ③:子育て支援政策
現場では、
- ケースごとに違う
- 家庭事情が違う
- 正解が変わる
だが政策になると、
- 所得いくら以下
- 年齢何歳まで
- 書類〇点提出
と、蒸留される。
発酵していた知恵が、
制度の中で失われる。
そして、政治は「失敗を許されない」
帰納法の前提は、
失敗が含まれる
ことだ。
だが政治は、
- 失敗=責任問題
- 失敗=辞任
- 失敗=攻撃材料
になる。
だから政治は、
最初から成功したように見える
設計しかできない
その結果、何が起きるか? どうすべきか?
- 現場が萎縮する
- 裁量が奪われる
- 本音が消える
- 政治不信が生まれる
政治が帰納法を嫌うことで、
社会全体が、
蒸留過多になる。
母性経済革命は「政治の外縁」から始まる
だからこそ重要なのは、
母性経済革命は、
まず政治の中で
起きない
という事実だ。
- 企業
- 地域
- 文化
- 食
- ケア
発酵的な実践は、
制度の外で先に起き、
後から政治が追認する
政治は「結果」だけを受け取る
政治ができるのは、
- 成功例の制度化
- 失敗の整理
- ルール化
までだ。
発酵そのものは、
政治の役割ではない。
政治を責めすぎてはいけないか
政治が帰納法を嫌うのは、
怠慢ではない。
政治という装置が、
蒸留でしか
動かないからだ。
だからこそ、
- 生活
- 経済
- 文化
の側で、
発酵を続けること
が決定的に重要になる。
母性経済革命とは、
政治に先回りして、
現実を発酵させておくこと
なのだ。
言っておくが、それは政治を諦めていいということではない。
絶望せよ、ということではまったくないので、明確に言っておく。





