2026年9月6日、イタリアを拠点に活動してきたデジタル・コレクティブ「Autistici/Inventati(以下、A/I)」が、ウェブサイト上で活動終了を宣言した。

発端は、そのわずか10日前の8月26日、米国財務省外国資産管理局(OFAC)がA/Iを「特別指定グローバルテロリスト(SDGT)」に指定したことにある。米政府は同団体が「暴力的な左翼過激派グループに技術的ツールやサービスを提供した」と断定した。

この一方的なテロリスト指定がもたらした破壊の速度は、現代のデジタル社会の急所を容赦なく露呈させたと断言しうるものである。指定から2日後の8月28日には、米バージニア州に本社を置くレジストラPublic Interest Registry(PIR)によって同団体のドメイン「autistici.org」が無効化(serverHold)された。さらに、長年同団体の活動を支えてきたイタリアの「倫理的金融」専門銀行バンカ・エティカ(Banca Etica)やPayPalが即座に取引を停止し、世界中から寄せられた寄付金を含む銀行口座が凍結された。司法の法廷による審理も、反論の機会も与えられないまま、行政機関の「一筆」によって、25年にわたり市民運動や反ファシズム活動を支えてきた通信インフラが、物理的・経済的・電子的に根こそぎ消去されたのである。

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A/Iが最後に残した声明の結びは、静かな、しかし痛烈な叫びであった。

「PCの電源を切り、家を出て、闘い、抱き合い、笑顔を絶やさないでほしい。私たちは立ち止まるが、抵抗と思想は止まらない。人間であれ(Stay human)」

この出来事は、単なる一つの反体制派ホスティング団体の閉鎖劇ではない。私たちが自明のものとして信じ込まされている「正義」という概念の欺瞞と、中央集権化された技術基盤の脆弱性を浮き彫りにした大事件なのではないか。

「伝言者」の標的化とインフラの連座制

電子フロンティア財団(EFF)のジリアン・ヨークが「彼らは伝言者を標的にしている(They are targeting the messengers)」と指摘した通り、A/I自身がテロ行為や暴力を実行したわけではない。彼らが提供していたのは、暗号化メール、メーリングリスト、ホスティング、そして匿名ブログプラットフォーム「Noblogs.org」という、誰に対しても開かれた中立的な通信の「土台(基礎・基盤)」に過ぎなかった。

A/Iの公開書簡(Open Letter)は、この措置の本質的な危うさを的確に突いている。

「その理論は、データの最小化を『疑い』へと、プライバシーを『隠蔽』へと、インフラを『連座』へと変えてしまう」

道路を整備する土木事業者は、その上を走る自動車に犯罪者が乗っていたとしてもテロリストとは呼ばれない。手紙を運ぶ郵便局員は、封書の中に不都合な思想が書かれていたとしても共犯者にはされない。一般に料理を振る舞うためのナイフやフォークは、それ自身に殺傷能力があったとしても決して凶器ではないのだ。

そもそも、通信の秘密とプライバシーの保護は、2016年の国連人権理事会決議(A/HRC/32/L.20)でも再確認された国際的な基本合意である。

しかし今回の制裁は、インフラの提供そのものを「テロ支援」と見なす論理を強行した。プライバシーを守る暗号化技術を「犯罪の隠蔽工作」と決めつけ、通信の土台を提供する者を「共犯」として断罪する。これは、表現の自由の枠組みそのものを根底から解体する危険な前例にほかならない。

国家による「正義」の独占と排除の力学

ここから導き出される最初の問いは、「誰が正義を定義しているのか」という権力の構造である。

国家権力が振りかざす「正義」とは、本質的に普遍的な倫理や道徳ではない。それは「自己の支配秩序の維持」であり、統治機構にとって都合の悪い異論を排除するための境界線である。法学や社会学が繰り返し論じてきたように、主権者は例外状態を決定し、特定の集団に「テロリスト」「非国民」というラベリングを施すことで、法の手続き(デュープロセス)をバイパスして排除する特権を行使する。

OFACによるSDGT指定は、米国内の裁判所で証拠を精査し、有罪判決を下す司法プロセスではない。行政府が独自の外交・安全保障上の判断に基づき、国外の個人や組織を一方的にブラックリストへ載せる行政処分である。そして、米国籍を持たない海外の団体には、実質的な異議申し立てや弁明の機会すら与えられていない。

統治者にとって都合の悪い異議申し立て、市場原理に従わない自律的なオルタナティブ、国家の監視が届かない暗号化された領域――それらを一括して「社会の敵」と再定義し、抹殺する。国家が語る「正義」とは、多様な声を調停する公正な天秤ではなく、自らのヘゲモニーを脅かす者を殴打するための棍棒として機能している。

資本の過剰同調とインフラの民営化された暴力

本件の恐るべき側面は、国家権力の直接行使以上に、それを取り巻く民間インフラと金融機関が示した「過剰同調(コンプライアンス)」の連鎖にある。

制裁が発表された瞬間、.orgドメインの管理元である米PIR社は即座にドメインを剥奪した。同行の理念として「非営利と自由でオープンなインターネット」を掲げていたはずのレジストラが、一言の公式声明すら出さずにアクセスを遮断した。さらに深刻なのは、イタリア国内で「武器商人や環境破壊に加担しない、市民のための倫理的銀行」を標榜していたバンカ・エティカまでもが、米国の制裁リスクに怯え、即座に口座を凍結した点である。

グローバルな決済網(SWIFTや米ドル決済)と、DNS(ドメインネームシステム)のルートサーバを米国系企業が掌握している現代の構造において、一握りの覇権国家が下した「決定」は、世界中の企業に二次制裁の恐怖を植え付ける。民間企業は法的リスクを恐れ、疑わしきは問答無用で切断する。

国家が下した「テロリスト」という定義が、グローバル資本主義のネットワークを通じて瞬時に増幅され、民営化された執行力となって標的を包囲する。ここには対話も検証も存在しない。あるのは「リスク排除」という冷徹なアルゴリズムと、強者の裁定に対する無批判な従属だけである。

自律という原点――「オルタナティブ」が持つ真の正義

では、私たちは「正義」をどのように再定義すべきなのか。

正義とは、単一の権力やシステムが押し付ける「完全な秩序」に従属することではない。いかなる権力や巨大プラットフォームからも侵されない「自律の余白(オルタナティブ)」を維持し、支配的な秩序の外側で他者とつながり続ける可能性を確保することこそが、真の正義の条件である。

2001年3月3日、ミラノの廃棄コンピュータが集まるハックラボLOAでA/Iが結成されたとき、彼らが掲げた構想は極めて示唆に富んでいた。

「もし何千もの自律的なサーバーが存在すれば、いかなる単一の襲撃や押収も、全員の通信を遮断することはできないだろう」

彼らが目指したのは、巨大な単一プロバイダーになることではなかった。誰もが自前のノードを持ち、小さな自律的インフラを無数に編み上げることで、権力の検閲や単一障害点(SPOF)を無力化する生態系をつくることであった。

彼らの敗北と活動終了は、彼らの思想が間違っていたからではない。むしろ、私たちがこの四半半世紀の間、利便性と引き換えに中央集権的なクラウドやビッグテック、一握りの米系ドメイン・決済インフラに過度に依存し、自律的な分散基盤を構築する労力を怠ってきた結果にほかならない。

技術と倫理の再構築に向けて

A/Iが遺した「Stay human(人間であれ)」という言葉は、安易な感傷ではない。技術を巨大権力や資本の道具としてではなく、人間の解放と自律のための道具(コンヴィヴィアルなツール)として取り戻せという、開発者や市民に対する遺言である。

正義を国家や大企業の裁量に委ねている限り、私たちは常に「接続を切断される恐怖」に怯えながら生きることになる。自分たちの言論や活動が許されるか否かを他者の善意や規約に頼る状態は、自由ではなく単なる飼育にすぎない。

真のオルタナティブとは、単なる「もう一つの便利ツール」を選ぶことではない。インフラを自分たちの手に取り戻し、検閲不能なプロトコル、主権を持ったサーバー、地域と個人の信頼に基づく分散型のコミュニケーションを粘り強く耕し続けることである。

一筆の署名でドメインを奪われ、口座を塞がれたとしても、彼らが紡いだコードと「自律」への意志は消え去らない。正義とは既成の法の中に完成しているものではなく、権力の独占に抗い、人間が人間として語り合うための場を、技術と実践によって不断に切り拓き続ける営みそのものを指すのである。

「支配される側」から、仕組みを「所有する側」へ。

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