第2回:仮想演習と「余白」の設計 ―― n8nとAIがもたらす、失敗できる実験場
畑村洋太郎氏は、失敗には「既知の失敗」と、まだ誰も経験していない「未知の失敗(未明事象)」があると説く。
過去のデータの積み重ねで予測可能な範囲を超えた、この「未明事象」が頻発するのが現代という時代の特徴である。しかし、多くの組織や社会システムは、いまだに「前例」や「マニュアル」への依存から脱却できていない。前例のない事態に直面した際、思考は停止し、システムは致命的なダメージを受けるまで無防備な状態に晒される。
このリスクを回避するために畑村氏が提唱するのが、頭の中で失敗をシミュレーションする「仮想演習」である。だが、複雑化した現代の社会システムにおいて、個人の想像力だけでその因果関係を網羅することには限界がある。
ここで重要になるのが、テクノロジーを用いた「実験場の設計」である。
失敗を「安価」にする自動化の役割

(異常検知後に即座にフィードバックを返すn8nのワークフロー例。これが失敗を『安価なデータ』に変える実装の正体である)
これまで、ビジネスや行政の現場において、新しい試み(試行錯誤)は常に高いコストとリスクを伴うものだった。失敗すればサンクコストが発生し、責任追及の対象となる。この「失敗のコスト」の高さこそが、社会の硬直化を招き、人々の挑戦を阻む最大の障壁となってきた。
しかし、n8nやAIを活用した自律的なワークフローの構築は、この構造を根本から変える可能性を秘めている。
自動化の本質は、単なる労働時間の削減ではない。それは、人間が実社会で手を動かして傷を負う前に、デジタルの砂場(サンドボックス)の中で「仮想の失敗」を高速に、かつ安価に繰り返せる環境を構築することにある。
コードの一行を書き換え、AIへのプロンプトを微調整し、フローの分岐を組み替える。このデジタル空間における試行錯誤のコストは、限りなくゼロに近い。テクノロジーによって失敗を「致命的な損失」から「安価なデータ」へと転換すること。これこそが、失敗学を現代に実装するための第一歩である。
「余白(バッファ)」という名の安全装置
畑村氏は、失敗を防ぐため、あるいは失敗の影響を最小化するために、システムには必ず「遊び」や「冗長性」が必要だと強調する。
しかし、現代の父性的な効率至上主義は、この余白を「無駄」として徹底的に削ぎ落としてきた。余裕を剥ぎ取られた高密度なシステムは、一度のエラーで全体が停止する、極めて脆弱なものとなる。
私たちが提唱する「母性的なシステムデザイン」とは、自動化によって生み出した時間を、さらなる労働へと投入するのではなく、意図的に「余白」として確保する設計を指す。
- 思考の余白: 定型的な事務作業をAIに委ね、人間が「もしこうなったら?」という未明事象への想像力を働かせる時間を確保する。
- 精神の余白: システム側でエラーのリカバーや異常検知が設計されているという安心感(心理的安全性)が、次なる創造的な挑戦を可能にする。
システムのレジリエンス(回復力)を設計する
社会システムデザインとしての失敗学は、「失敗を完全に排除すること」を目指さない。むしろ、「失敗した後に、いかに素早く、賢く立ち直れるか」というレジリエンスの設計に重きを置く。
ワークフローの中に異常検知やフィードバックループを組み込み、失敗を即座に「改善の胚芽」として取り込む仕組みを構築すること。それは、畑村氏の「失敗を知識化する」という教えを、現代のITスタックによって社会のインフラに組み込む試みに他ならない。
結論:実験し続ける社会へ
仮想演習を日常の中に組み込み、テクノロジーによって「余白」を担保すること。それによって、私たちは初めて、失敗を恐れる「守りの姿勢」から、未知の事象を面白がり、そこから新たな知見を汲み取る「攻めの設計」へと転じることができる。
次回は、本シリーズの総仕上げとして、失敗を共有し全体知に変えるための「信頼資本」のあり方と、母性経済における責任の再定義について論じたい。





