――創造より管理を選んだ教育と、草食化した生存戦略
彼らは政治に無関心なのではない
「関われない」ように育てられただけだ
よく言われる。
日本人は政治的リテラシーが低い
自分の意見を持たない
投票にも行かない
だが、これは半分しか当たっていない。
正確に言えば、
政治に無関心なのではない。
政治に「触れてはいけないもの」として育てられた。
その転換点は、1970年代以降にある。
1970年代、日本の学校教育は方向転換した
高度経済成長が終わり、
学生運動が社会問題化したあと、
日本の教育は大きく舵を切った。
それまで教育に残っていた
- 批判的思考
- 社会への疑問
- 自分で考える姿勢
これらは「危険なもの」とみなされ始める。
代わりに重視されたのは、
- 秩序
- 管理
- 統一
- トラブルを起こさないこと
つまり、
市民的成熟より、管理しやすさ
だった。
「考える子ども」より「扱いやすい子ども」
学校で評価される子ども像は、
徐々にこう変わっていく。
- 空気を読む
- 先生の意図を察する
- 波風を立てない
- 正解を当てる
これは学力ではない。
適応力だ。
その結果、子どもたちは学ぶ。
自分の意見を持つと、面倒なことになる
目立たないほうが安全だ
マジョリティに合わせておけば損しない
これは臆病さではない。
合理的な生存戦略だ。
「草食動物的生存戦略」の完成
こうして育った世代は、
社会に出てからも同じ行動原理を持つ。
- みんなが言っている方向へ行く
- 多数派に乗る
- 炎上しない立場を選ぶ
政治に対しても同じだ。
- 深く考えない
- 強い言葉に引っ張られる
- 難しい話は避ける
これは無知ではない。
危険回避の結果だ。
もともと日本人は「同調圧力」に強い
だが、それが過剰強化された
あなたの指摘が鋭いのはここだ。
もともと日本人はそうなんですけど、さらに増えた
その通りだ。
日本社会には元来、
- 村落共同体
- 空気を読む文化
- 和を乱さない価値観
がある。
1970年代以降の教育は、
この特性を「調整」するのではなく、
徹底的に強化した。
結果として、
- 異論を言えない
- 少数意見を想像できない
- 自分の言葉を持たない
市民が大量に生まれた。
そもそも政治的リテラシーとは「知識」ではない
ここで重要な整理をする。
政治的リテラシーとは、
- 政策を暗記することではない
- イデオロギーを知ることでもない
本来は、
自分の生活と社会制度のつながりを
言葉にできる力
だ。
だが、日本の教育はそれを教えなかった。
なぜなら、
それは管理不能になる力だからだ。
結果として生まれた「無責任な大人社会」
この教育の帰結は、
現在の社会にそのまま表れている。
- 誰かが決めてくれれば従う
- うまくいかなければ文句だけ言う
- 自分は責任を取らない
これは個人の性格ではない。
構造の問題だ。
管理される側として最適化された人間は、
主体として振る舞う訓練を受けていない。
だからこそ、ここから母性経済革命が必要になる
母性経済革命は、
この状況への対抗思想でもある。
それは、
- 正しさを押し付けない
- 成熟を急がせない
- 失敗や未熟さを前提にする
という設計思想だ。
管理社会は、
「ちゃんとできる人」しか想定しない
母性経済は、
「まだ途中の人」も含めて設計する
これは教育にも、
政治にも、
経済にも必要な転換だ。
市民的成熟は、管理からは生まれない
最後に、はっきり言おう。
- 管理しやすさからは、成熟は生まれない
- 同調からは、責任は生まれない
- 恐怖回避からは、民主主義は育たない
市民的成熟とは、
時間と余白と失敗を許す環境からしか育たない。
母性経済革命とは、
その「育つ時間」を社会に取り戻す試みなのだ。
政治的リテラシーの低さを嘆く前に、
なぜ育たなかったのかを問う。
そこからしか、
次の社会は始まらない。


