本サイトのWBCのNetflix独占配信に関する記事に対し、非常に象徴的なご意見がありました。

曰く、「最初は独占配信に懐疑的だったが、日本の民放テレビ局特有の『大谷翔平一辺倒』や『YouTuber的なノイズ』がなく、純粋に世界最高峰の全試合に没入できた。コアなファンにとって、Netflixの独占はむしろアリ(正しい選択)だった」
というものです。

率直に申し上げて、一人の野球ファンとしてのこの感覚は、100%正しいと私も思います。

日本のテレビ局の「馴れ合いOS」が生み出す、視聴率(目先の利益)だけを追い求めた偏狭な番組作りに、多くの人がウンザリしていたのは紛れもない事実です。

しかし、「だからNetflixに独占されて正解だった」と結論づけてしまう思考の「型」にこそ、現代のプラットフォーム寡占が持つもっとも恐ろしい罠が潜んでいる、と改めて申し上げておきたいのです。

「サービスの質」と「インフラの主権」の混同

この意見が陥っているのは、「UX(ユーザー体験)の快適さ」と、「インフラ(基盤)の主権を誰が握っているか」という全く次元の違う問題を混同している点です。

巨大プラットフォームが市場を制圧するとき、彼らは決して暴力的に奪いに来るわけではありません。既存の古いシステム(今回で言えば日本のテレビ局)よりも、圧倒的に洗練され、ノイズがなく、ユーザーにとって「心地よいUX」という武器を持ってやってきます。

消費者はその「便利さ」や「質の高さ」に感動し、自ら進んでプラットフォームの囲いの中に入っていきます。しかし、それはあくまで彼らが「独占を完了するまで」のサービス価格であり、UXです。

ひとたび競合が死に絶え、文化のインフラが完全に彼らの手に落ちた後、何が起きるか。

サブスクリプションの価格は容赦なく引き上げられ、配信されるコンテンツはアルゴリズムによって彼らの都合の良いように選別されます。その時になって「こんなはずじゃなかった」と嘆いても、もう私たちには独自の配信網(対抗手段)は残されていないのです。

『動物農場』の羊たちと同じ風景

ジョージ・オーウェルの『動物農場』において、動物たちは無能で怠惰な農場主ジョーンズ(既存の権力)を追い出し、豚のナポレオン(新たなプラットフォーム)を指導者として迎え入れます。

ナポレオンの統治下では、最初は風車が建設され、動物たちの生活は向上したかのように見えました。この時、農場の羊たちは「四本足は良い、二本足は悪い!(新しい体制は素晴らしい、昔の人間は最悪だ!)」と声高に合唱し、体制を正当化するスピーカーの役割を果たします。

「日本の地上波はノイズだらけで最悪だ、純粋に野球を楽しめるNetflixは最高だ」という絶賛の声は、まさにこの羊たちの合唱とフラクタル(相似形)を描いています。

羊たちは、目の前の「餌の質(UX)」が上がったことに満足し、自分たちが農場(文化のインフラ)の「主権」を完全に豚に明け渡してしまったという構造的な事実に気づいていません。小作農であることに変わりはないのに、「地主が変わってサービスが良くなった」と喜んでいる状態なのです。

私たちはどうするべきか ―― 第三の選択肢「ビバリウム」の構築

では、どうするべきだったのでしょうか。「質の低い日本の地上波で我慢しろ」と言うつもりは毛頭ありません。

私たちが本当に怒り、要求すべきだったのは、「Netflixか、地上波か」という二者択一ではありません。

「なぜ日本には、自分たちの手で世界最高峰のスポーツや文化を、ノイズなく高画質で配信し、かつその利益を国内の競技団体やクリエイターに循環させられる『公共のデジタルインフラ』が存在しないのか」という事実に対する怒りです。

TVerやABEMA、あるいは各球団の配信網を統合し、Netflixに対抗しうる「質の高い自前のプラットフォーム」を構築すること。これこそが、他国資本に生殺与奪の権を握られない「自律した生態系(ビバリウム)」の設計です。

「UXが良いから」という理由だけで、国の文化やデータのインフラを丸ごと他国資本のプラットフォームに明け渡すことは、長期的には「自律(主権)」の放棄を意味します。

私たちは、いま、目の前の便利さに酔いしれる羊になるか、それとも痛みを伴ってでも「自分たちの水道管(インフラ)」を築くか、その岐路に立たされています。

これはスポーツ中継だけの問題ではなく、あらゆるビジネス、そしてAI時代を生きる地方経済にも全く同じことが言えるのです。

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