——60年代ブリティッシュ・ロックからSpotify時代までの消費史
ロックが「事件」だった時代
1960年代のブリティッシュ・ロック――
ビートルズ、ストーンズ、ザ・フー、キンクス。

(https://www.billboard-japan.com/special/detail/672)
この時代、音楽は事件だった。
- レコードは高価で
- 情報は限られていて
- 新作は「待つもの」だった
音楽を聴くことは、
日常に割り込んでくる非日常体験だった。
レコードを買う行為は、
「消費」ではなく参加に近い。
ジャケットを眺め、
針を落とし、
歌詞を追い、
仲間と語る。
音楽は、
時間と空間を占有する文化体験だった。
70〜80年代:所有とアイデンティティの時代
LPからカセット、CDへ。そしてもちろん、「ウォークマン」。
音楽はより身近になり、
同時に所有物になっていく。
- コレクション
- ライブラリ
- 棚に並ぶディスク
この時代、音楽は
自分が何者かを示す記号だった。
「何を聴いているか」は
そのまま「どんな人間か」だった。
ロックはまだ、
- 反体制
- 若者文化
- 世代の象徴
として機能していた。
消費は進んだが、
意味はまだ濃かった。
90年代:過剰と断片化
CD市場がピークを迎え、
MTV、フェス、巨大産業化。
ロックは「文化」から
「ジャンルの一つ」へと変わる。
この頃から兆候が見える。
- 名盤よりシングル
- 文脈よりヒット
- 体験より効率
音楽はまだ「聴かれて」いたが、
集中の密度が落ち始めた。
デジタル化が壊したもの
MP3、Napster、iTunes。
音楽は「所有」から
「データ」へ変わる。
- 無限コピー
- 無限取得
- 無限スキップ
ここで起きた本質的変化は、
価格破壊ではない。
重みの消失だ。
一曲が軽くなり、
アルバムという単位が崩れ、
「聴く」という行為が
労力を必要としなくなった。
Spotify時代:音楽は「環境音」になる
そしてストリーミング。
Spotifyは革命的だが、
同時に決定的だ。
- 所有しない
- 探さない
- 選ばない
音楽は、
アルゴリズムが流すものになる。
プレイリストは便利だが、
それは「選曲」ではなく
最適化された背景音だ。
音楽は、
- 作業用
- 睡眠用
- 移動用
に分類され、
生活の邪魔をしない存在になる。
ロックは「聴かれなくなった」のか
これはロックの敗北ではない。
ロックは、
- 集中を要求し
- 文脈を持ち
- 騒音になり得る
音楽だ。
Spotify的生活――
常時接続・分断された注意・多重タスク社会では、
最も相性が悪い。
ロックは「うるさい」のではない。
人間に向きすぎている。
現在の音楽消費が変えた生活
音楽が「流れるもの」になったことで、
- 沈黙が消え
- 集中が浅くなり
- 感情の振れ幅が減った
音楽は感情を揺らす装置から、
感情を平坦化する潤滑油へ変わった。
それは悪ではない。
だが、確実に変化だ。
社会的意味:文化が「主張しなくなった」
60年代のロックは、
音楽で社会と対話していた。
いまの音楽は、
社会と摩擦を起こさない。
これは音楽の問題というより、
社会の姿だ。
- 速さ
- 効率
- 心地よさ
が優先される世界では、
「耳を奪う文化」は生きづらい。
それでも、音楽は終わらない
重要なのはここだ。
音楽は消えていない。
役割を変えただけだ。
- ライブ体験の価値はむしろ上がった
- フェスは共同体的意味を取り戻した
- 一部の人にとって、音楽は再び「事件」になっている
つまり、
音楽は再び分断された。
浅く広く流れる音楽と、
深く刺さる音楽。
私たちは、どう聴くのか
問われているのは、
音楽産業ではない。
私たちが、
音楽とどう付き合いたいのか
流し続けるのか。
立ち止まるのか。
聴き直すのか。
ロックが教えていたのは、
「うるさく生きろ」ということではない。
ちゃんと聴け
という態度だった。
それは、
この時代にこそ、
最も難しく、
最も必要なことなのかもしれない。

