ロックが希望を書けなくなり、
ポップがそれを一時的に預かったあと、
希望は消えたのだろうか。

そうではない。

希望は、
音楽の外へ移動した。

それは消失ではなく、
拡散だった。


希望は「物語」から「機能」へ移った

かつて希望は、
歌や物語の中にあった。

  • 明日は変わる
  • 世界は良くなる
  • 若者が未来を作る

だが現代社会では、
希望は物語として語られにくくなった。

代わりに現れたのは、

  • 便利さ
  • 効率
  • 安全
  • 最適化

という機能的な言葉である。

「希望」という言葉を使わずに、
希望の代替物が提供される。

制度が「希望の代理人」になった

希望は、
制度に組み込まれた。

  • 教育制度
  • 雇用制度
  • 社会保障
  • テクノロジー

それらは、
「不安を減らす」ために設計されている。

だが重要なのは、
それらが夢を与えるためではなく、
失敗を最小化するために作られている点だ。

希望は、
リスク管理に変換された。

テクノロジーは「未来」を先取りした

テクノロジーは、
希望を約束しなかった。

代わりに、
未来を先に実装した。

  • スマートフォン
  • SNS
  • AI
  • 自動化

未来は、
驚きとしてではなく、
アップデートとして届く。

ここでは、
希望は待つものではない。

常に、もう来ている。

希望は「個人の内面」へ押し込められた

音楽が希望を書けなくなったあと、
希望は自己啓発へと移動する。

  • ポジティブでいよう
  • 自分を信じよう
  • マインドセットを変えよう

これらは否定されるべきではない。

だが、
社会構造の問題が
個人の心理に翻訳された瞬間、
希望は孤立する。

希望は、
共同の課題ではなくなった。

エンタメは「希望の疑似体験」を提供した

映画、ドラマ、ゲーム。

エンターテインメントは、
希望を完全に手放したわけではない。

むしろ、
大量に供給した。

だがそれは、

  • 一時的
  • 体験型
  • 終わりがある

希望だった。

物語が終われば、
希望も終わる。

現実は変わらない。

政治は「希望を語ること」をやめた

政治は、
長いあいだ希望を語らなかった。

語ったのは、

  • 現実的
  • 財源
  • 効率
  • 成長率

希望は、
「無責任な言葉」とされた。

この沈黙は、
社会全体に影響を与えた。

希望を語ること自体が、
幼稚だと思われるようになった。

それでも希望は「消えなかった」

希望は、
どこへ行ったのか。

それは、

  • ケアの現場
  • 支援活動
  • ボランティア
  • 地域
  • 家庭

目立たない場所へ移動した。

拍手も、
スポットライトもない。

だが、
人が生き延びるための
実践として存在している。

希望は「母性化」した

ここで重要な転換が起きる。

希望は、

  • 勝つこと
  • 変えること
  • 壊すこと

ではなく、

  • 支えること
  • 続けること
  • 回復させること

へと変質した。

これは、
母性的な希望である。

母性経済革命とは何か

母性経済革命は、
失われた希望を
取り戻す運動ではない。

すでに別の形で存在している希望を、
経済と制度の言葉に翻訳する試み

である。

それは、
音楽が担えなかった役割だ。


結論として:

希望は、静かに生き延びていた

希望は消えたのではない。

騒がなくなっただけだ。

音楽の外で、
日常の中で、
誰かを支える行為として、
生き延びていた。

それを、
もう一度社会の中心に
戻すこと。

それが、
母性経済革命の意味である。