──商社と工場の現場で起きている、静かなる革命

過去2例では、顧客体験を変える「攻めのAI」を紹介しました。

今回は視点を変え、日本の産業を支える「商社」と「工場」に焦点を当てます。ここで明らかになるのは、膨大な情報の処理や、熟練工の眼という、これまで人間にしか不可能だと思われていた領域にAIが浸透し始めていることではないでしょうか。

【総合商社】伊藤忠商事 (ITOCHU Corporation)

──情報の「砂漠」から、ビジネスの「金脈」を掘り当てる

https://www.itochu.co.jp/ja/about/dx/ai/index.html

ラーメンからロケットまでを扱う総合商社。その競争力の源泉は、世界中から集まる「情報」にあります。しかし、情報の量が人間の処理能力を超えた時、それは武器ではなくノイズになりかけていました。

  • 課題:情報のサイロ化と形骸化 社内には、世界中の駐在員から送られてくる市場レポート、商品市況、議事録など、膨大なテキストデータが眠っていました。社員は日々の業務に追われ、過去の有益な知見を探し出すことができず、情報の「死蔵(サイロ化)」が起きていました。 また、資料作成やメール対応などの「ノンコア業務」が、商社マンの本分である「交渉」や「決断」の時間を奪っていました。
  • AI活用:全社導入生成AI「I-Chat」 伊藤忠は、日本の総合商社としていち早く、OpenAIの技術を活用した社内向け生成AIシステム「I-Chat」を全社員に導入しました。 単なるチャットボットではなく、RAG(検索拡張生成)技術を用い、「社内の独自データ」をAIに読み込ませている点が特徴です。
    • 市場分析の瞬時化: 「過去5年間の南米の小麦相場の変動要因を要約して」と問えば、社内の過去レポートを参照して回答を作成。
    • 翻訳と要約: 海外の長文契約書やニュースを瞬時に日本語で要約し、要点のみを抽出。
  • 成果:
    • 「探す時間」の消滅: 資料探しや情報の突き合わせにかかる時間が劇的に短縮され、社員は「情報の分析」と「戦略立案」に集中できるようになりました。
    • 集合知の活用: ベテラン社員しか知らなかった過去の失敗事例や成功ノウハウが、若手社員でもAIを通じてアクセス可能になり、組織全体のIQが底上げされました。

【評価と展望】

商社の役割は「トレーディング(仲介)」から「事業投資・経営」へとシフトしています。AIが情報の整理・分析という「仲介機能の一部」を担うことで、人間は「どの事業に投資するか」という経営判断や「人と人を繋ぐ」というウェットな関係構築により強くコミットできるようになります。


【食品製造】キユーピー (Kewpie Corporation)

──「熟練工の眼」を継承し、食の安全を守り抜く

https://ledge.ai/articles/kewpie-inspection

日本の製造業、特に食品工場において長年の課題だったのが、「検品」における人手不足と精神的負担でした。

  • 課題:過酷な「目視検査」と労働力不足 ベビーフードに使われる「ダイス(角切り)ポテト」の選別ラインでは、変色したものや茎などの異物を除去するために、熟練の従業員が一日中、流れてくるポテトを目視でチェックしていました。 これには高度な集中力が必要で、長時間の作業は目に大きな負担をかけます。また、この「良品・不良品を見分ける眼」を持つ人材の育成には時間がかかり、少子高齢化の中で人材確保が限界に達していました。
  • AI活用:Google TensorFlowを活用した「AI原料検査装置」 キユーピーは、Googleの機械学習ライブラリ「TensorFlow」を活用し、世界初の食品原料検査装置を自社開発しました。
    • 教師データの作成: 現場のスタッフが「これは良品」「これは不良品」と仕分けた数万枚の画像データをAIに学習させました。
    • ディープラーニングによる推論: ベルトコンベア上のポテトをカメラで撮影し、AIが瞬時に「不良品」と判断したものを、エアジェット(空気砲)で自動的に弾き飛ばす仕組みを構築しました。
  • 成果:
    • 歩留まりの向上と負担減: 人間の目では見逃しがちな微細な変色もAIは正確に検知。何より、人間を「一日中ポテトを凝視する」という過酷な単純作業から解放しました。
    • 「匠の技」のデジタル保存: ベテラン従業員の判断基準(=匠の技)がAIモデルとして保存されたため、熟練工が引退しても品質基準を維持できる体制が整いました。

【評価と展望】

この事例の素晴らしい点は、外部のITベンダーに丸投げするのではなく、「現場の人間がAIを育てた」という点です。 AIは人間の敵ではなく、「人間の目を疲れさせる単純作業を代行してくれる心強い弟子」として受け入れられました。 今後は、食品だけでなく、金属部品の傷チェックや、インフラ(橋やトンネル)のひび割れ検知など、あらゆる「職人の眼」が必要な領域で、同様のAI導入が進むでしょう。


まとめ:B2BにおけるAI活用の本質

商社の事例も工場の事例も、共通しているのは「人間をボトルネックにしない」という視点です。

  • 商社の場合: 脳の限界(情報処理量)をAIで突破する。
  • 工場の場合: 身体の限界(目の疲労・集中力)をAIで突破する。

前回のB2C事例(コカ・コーラやDuolingo)が「楽しさ」や「体験」の向上を目指していたのに対し、今回のB2B事例は「安全性」や「持続可能性(サステナビリティ)」の確保に直結しています。

派手さはなくとも、働く人の負担を減らし、産業の基盤を支えるこれらのAI活用こそ、日本社会がいまもっとも必要としている「地に足のついたDX」の姿と言えるでしょう。