気づけば、音は止まらなくなった。
カフェでも、電車でも、オフィスでも、
家に帰っても、スマホを開いても、
必ず何かが流れている。
それは音楽であることも、
ラジオであることも、
動画の残響であることもある。
だが共通しているのは、
それが「聴かれる前提ではない」という点なのではないかということだ。
BGMは本来「背景」だった

もともとBGMとは、
- 空間の雰囲気を整える
- 沈黙の緊張を和らげる
- 会話を滑らかにする
ためのものだった。
主役は人であり、
音はあくまで脇役。
だが、
その脇役が増殖した。
なぜ文化はBGM化したのか
理由は単純だ。
集中が細切れになったから。
- 通知
- マルチタスク
- 常時接続
一つの文化に
腰を据えて向き合う時間が減った。
結果、文化は、
- 深く刺さらず
- 摩擦を起こさず
- 作業を邪魔しない
方向へ最適化されていった。
功:孤独と不安を和らげた
BGM化は悪だけではない。
功も、確実にある。
- 一人の時間が怖くなくなった
- 作業効率は上がった
- 感情の急落を防げる
音があることで、
孤独は鋭さを失った。
不安は、
即座に中和される。
罪:感情の起伏が平坦になった
だが代償は大きい。
常に音がある世界では、
- 感情が深く沈まない
- 同時に高くも跳ねない
喜びも、悲しみも、
平均値に寄せられる。
文化は、
心を揺らす装置から、
心を安定させる装置へ変わった。
怒り・違和感・沈黙が消えた
BGM化された文化は、
問いを発しない。
- 不快にさせない
- 考えさせない
- 立場を要求しない
結果、
- 怒りは拡散され
- 違和感は流され
- 沈黙は耐えられなくなる
文化は、
社会を動かす力を失った。
ロックがBGMになれない理由
ロックは、
BGMに向かない。
- 主張が強い
- 音が割り込む
- 感情を引きずり出す
だから敬遠される。
だがそれは、
ロックが劣化したからではない。
社会の側が、
割り込まれることを拒んでいる。
BGM化は「管理しやすさ」の問題
文化がBGM化すると、
社会は扱いやすくなる。
- 集中は浅く
- 感情は平坦で
- 不満は可視化されにくい
これは偶然ではない。
文化のBGM化は、
社会の管理コストを下げる。
それでも人は「止まる音」を求める
興味深いのは、
- ライブ
- 映画館
- 展覧会
が再評価されていることだ。
これらは、
- 途中で止められない
- 逃げられない
- 集中を強制される
体験だ。
BGM化に疲れた人間は、
止められない文化を欲しがる。
文化をBGMにしないという選択
文化をBGMにするかどうかは、
受け手の態度でもある。
- 一曲だけ聴く
- 音を止める
- 沈黙を残す
それだけで、
文化は再び主役になる。
聴かない自由と、聴く覚悟
文化がBGM化した社会では、
- いつでも聴ける
- いつでも止められる
だが本当に必要なのは、
止めない覚悟かもしれない。
音楽は、
生活を邪魔するために存在していた。
邪魔だからこそ、
意味があった。
BGM化する文化の功罪とは、
便利さと引き換えに、
私たちが失った「立ち止まる力」の物語なのだ。




