――働き方が変わっても、仕事は変わっていない
働き方は、確かに変わった。
テレワーク、リモートワーク、複業、ギグワーク。
時間と場所はほどけ、雇用は流動化し、組織への帰属意識は薄れた。
だが、ここで一つの錯覚が生まれている。
仕事そのものまで変わった、という錯覚
本当にそうだろうか。
変わったのは「仕事」ではなく、
仕事を囲ってきた制度と装置ではないか。
変わったのは「働き方」であって、「仕事」ではない

仕事とは本来、
- 誰かの困りごとを引き受けること
- 価値の不足を埋めること
- 社会のどこかに空いた穴を塞ぐこと
この本質は、
産業革命前から変わっていない。
農民も、職人も、商人も、
やっていたことは同じだ。
必要に応じて、手を差し出す。
リモートであろうと、
AIを使おうと、
副業であろうと、
この核心は揺らいでいない。
組織は「仕事の器」にすぎなかった
近代以降、
仕事は「組織」によって管理されてきた。
組織は便利だった。
- 仕事を分業できる
- リスクを集団で引き受けられる
- 教育や再生産が可能になる
だが、いつのまにか順序が逆転した。
組織のために仕事がある
という倒錯
本来、
仕事が先で、
組織は後だった。
変革期に起きているのは、
仕事が再び組織から剥がれ落ちている現象だ。
組織の論理と、仕事の論理は違う
ここが最も重要な分岐点だ。
仕事の論理
- 役に立つか
- 続けられるか
- 回復可能か
組織の論理
- 管理できるか
- 評価できるか
- 置き換え可能か
好景気の時代、
この二つは偶然一致していた。
だが、変革期では乖離が露わになる。
組織は生き残るために管理を強化する。
仕事は生き延びるために柔らかさを求める。
この摩擦こそが、
現代の「働きづらさ」の正体だ。
母性経済革命が問う「仕事の再定義」
母性経済革命は、
仕事を「成果生産装置」とは見ない。
仕事とは、
人と社会の回復を支える行為の連なり
という定義に立つ。
ここでは、
- 一時的に生産性が落ちること
- 遠回りになること
- 非効率に見えること
が、排除されない。
なぜなら、
回復できない社会では、仕事そのものが続かないからだ。
AI時代においても、仕事の核は奪われない
AIは仕事を奪うのか、という問いは古い。
正確にはこうだ。
AIは「作業」を奪う。
仕事は奪わない。
作業とは、
- 手順化できるもの
- 評価軸が固定されたもの
- 文脈を必要としないもの
仕事とは、
- 状況を読み取ること
- 関係性を扱うこと
- 壊れかけた現場を支えること
後者は、
むしろ変革期にこそ重要になる。
母性経済革命は、
AIを敵としない。
人が回復に集中するための補助装置として扱う。
「働く」とは、所属ではなく関与である
これからの時代、
「どこに勤めているか」は重要ではなくなる。
問われるのは、
- 何に関与しているか
- 誰の時間を支えているか
- どんな回復を生んでいるか
これはフリーランス礼賛ではない。
組織否定でもない。
組織は、仕事に奉仕する限りにおいて意味を持つ
この順序を取り戻すことだ。
おわりに:変革期の仕事は、生き延びるための知恵である
仕事は、
自己実現のためだけにあるのではない。
生活を支え、
関係を保ち、
次の一日へつなぐためにある。
変革期において、
仕事は再び原初の役割へ戻っていく。
それは、
誰かと世界をつなぎ直す行為だ。
母性経済革命は、
働き方を変えよとは言わない。
ただ静かに、
こう問いかける。
この仕事は、
誰かが回復できる余地を残しているか。

