――蒸留酒の歴史、日本の酒、そして母性経済革命
食文化を語るとき、
人はしばしば「料理」から話を始める。
だが、文明史的に見れば、
順序は逆だ。
食文化は、
まず酒の文化として成立する。
ときに呼ばれる御神酒=酒とは、
そもそも単なる嗜好品ではなかった。
保存、分配、祝祭、鎮静、連帯――
それは、人間社会の根幹に関わる技術であり、
関係性の装置であった。今回はそういうことを記録しておきたい。
酒は「最初の加工食品」であったこと
人類が酒を手に入れたのは、
偶然だった。
果実が発酵し、
甘く、身体を温め、
意識を変える液体が生まれる。
ここで重要なのは、
酒は、
人類が最初に
「自然を時間で加工した食品」
だという点だ。
- すぐには食べられない
- 待つ必要がある
- 管理が必要
酒の誕生は、
人類に「育てる」「見守る」という
時間感覚をもたらしたのではないか。
蒸留酒の発明が「保存と移動の文明」を生んだ
発酵酒から蒸留酒へ。
これは単なる度数の違いではない。
蒸留とは、
価値を濃縮し、
腐敗を止め、
持ち運べるようにする技術
である。
ウイスキー、ラム、ブランデー、焼酎。
これらはすべて、
- 船で運ばれ
- 植民地で作られ
- 交易とともに広がった
だからこそ、蒸留酒は、
国家・帝国・市場と
深く結びついた酒だった。
蒸留酒がもたらした「父性的経済」
結果的に、蒸留酒の歴史は、
父性的経済の歴史でもある。
- 効率
- 管理
- 規格化
- 税収
蒸留酒は、
国家が最も早く管理した嗜好品だった。
その認識があるからこそ、
G.オーウェルは『動物農場』で支配者である豚たちが酩酊してしまうシーンを加えているのである。
酒は、
人を酔わせる前に、
国家を潤した。
このとき、
酒は関係の装置から、
収奪と統治の装置へと変質する。
それでも日本の酒文化は、少し違う道を歩んだ
日本にも蒸留酒はある。
だが、日本の酒文化の中核は、
今なお「発酵酒」にある。
日本酒、味噌、醤油、酢。
これらはすべて、
同じ発酵文化圏に属する。
ここに、日本独特の特徴があるのではないか。
事実として、日本酒は「地域の酒」である
日本酒は、
極端に地域差が大きい。
- 水
- 米
- 気候
- 杜氏集団
これらが絡み合い、
同じ銘柄でも年ごとに違う。
再現性が低いこと自体が、
価値になっている酒
これは、
管理社会と相性が悪い。
焼酎文化が示す「もう一つの日本」

一方、蒸留酒である焼酎は、
日本でも独自の進化を遂げた。
- 芋(鹿児島)
- 麦(壱岐)
- 米(熊本)
- 黒糖(奄美)
焼酎は、
地域の食料事情と
生活の延長線上
にある。
蒸留酒でありながら、
国家管理よりも
生活文化に根ざした酒だった。
酒は、共同体のリズムを作るものでもある
酒は、
- 一人で飲むものではなかった
- 毎日飲むものでもなかった
集まりのための装置
だった。
- 祭り
- 収穫
- 通過儀礼
酒は、
時間と関係を同期させる。
ここに、
母性経済の原型
があるのだと考える。
考えてみれば、いま現代社会は「酒の文脈」を失った
現代では、
- 飲みニケーションの崩壊
- 家庭での孤独な飲酒
- 健康管理としての断酒
酒は、
関係から切り離されつつある。
これは一面で大いに進歩でもあるが、
同時に、
食文化の基盤が
痩せ細っている兆候
でもある。
食と酒を、経済の中心に戻すということが大事
母性経済革命とは、
酒と食を、
再び関係の経済に
戻すこと
である。
- 大量生産ではなく小規模
- 全国一律ではなく地域
- 効率ではなく循環
新規事業としての酒と食
酒は、
- 地域性が強く
- 物語を持ち
- 継続が価値になる
新規事業にとって、
極めて母性的な領域だ。
重要なのは、
スケールしない設計
食文化を取り戻すとは、酔い直すことではないと知る
母性経済革命は、
酔いを推奨しない。もちろん、否定するものではない。
酒が持っていた
時間・関係・ケアの文脈
を、
現代に翻訳し直す。
蒸留によって濃縮された世界から、
再び発酵の時間へ。
食文化は、
酒の文化に立脚する。
だからこそ、
酒をどう扱うかは、
社会をどう設計するかと
同義なのだと記しておきたい。

