ロックとは、もともと希望を書く音楽だった。
それは政治的なスローガンとしての希望ではない。
もっと素朴で、身体的で、根拠のない希望である。
貧しくても、
若くても、
何も持っていなくても、
叫ぶことができるという希望。
ロックの初期衝動は、
世界を変えるというよりも、
「世界はまだ終わっていない」と
身体で証明することにあった。
だが、ある時点から、
ロックはそれを書けなくなった。
それは才能が枯れたからでも、
商業主義に負けたからでもない。
希望を書く前提となる世界像そのものが、
成立しなくなった瞬間があったからだ。
希望は「敵」がいるときに書ける

ロックが希望を書けた時代には、
明確な敵が存在していた。
- 抑圧的な国家
- 旧い権威
- 家父長制
- 戦争
- 検閲
ビートルズも、
ボブ・ディランも、
ザ・フーも、
ローリング・ストーンズも、
それぞれ異なる形で、
壊すべきものを想定できていた。
敵がいる限り、
反抗は希望になる。
「NO」と言うこと自体が、
未来への扉だった。
『Animals』が示した断絶点
ピンク・フロイドの『Animals』(1977)は、
ロック史における
静かな断絶点である。
このアルバムには、
- 解放がない
- 連帯がない
- 革命の気配がない
あるのは、
- 競争
- 支配
- 思考停止
- 管理された日常
だけだ。
ここでロックは、
初めて気づいてしまった。
敵は、もう外にいない。
「システム」が敵になったとき、希望は壊れる
『Animals』以降、
ロックが直面したのは
「人格を持たない敵」だった。
- 資本主義
- 市場原理
- 組織
- 管理
- 最適化
これらは、
倒しても顔がない。
革命しても、
誰も降伏しない。
オーウェルの『1984』では、
ビッグ・ブラザーは
恐怖の象徴だった。
だが現実の社会では、
ビッグ・ブラザーは
笑顔でサービスを提供する。
この瞬間、
ロックは
「敵を名指しできない音楽」
になった。
希望を書くには「時間」が必要だった
ロックが希望を書けたもう一つの理由は、
未来を想像する余白があったからだ。
- 明日は今日より良くなる
- 若者は年長者より自由だ
- 技術は解放をもたらす
これらの前提が、
1970年代後半から
静かに崩れていく。
『Animals』には、
未来のビジョンがない。
あるのは、
すでに閉じてしまった現在だけだ。
パンクムーブメントは「最後の希望」だった
1977年前後、
パンクシーンが爆発する。
セックス・ピストルズ、
ザ・クラッシュ。
だがパンクの希望は、
極めて短命だった。
なぜなら、
彼らが叫んだ「NO FUTURE」は、
比喩ではなく
事実になってしまったからだ。
「希望を否定することで希望を作る」
という逆説は、
一度しか使えない。
80年代以降、ロックは「症状」を歌い始める
80年代以降のロックは、
希望ではなく
症状を歌い始める。
- 孤独
- 不安
- 分裂
- 空虚
- 疲労
U2、
ザ・キュアー、
デペッシュ・モード、
そして後のレディオヘッド。
彼らは
「出口」を示さない。
示せなかったのではない。
出口が見えなかったのだ。
ロックが書けなかったのは「希望」ではない
重要なのは、
ロックが失ったのは
希望そのものではない、
という点である。
ロックが書けなくなったのは、
勝利の物語としての希望
である。
勝てば自由になる、
倒せば解放される、
変えれば良くなる。
そうした
父性的・直線的な希望が、
現実と噛み合わなくなった。
だから「母性経済革命」が必要になる
ロックが書けなかった希望は、
別の形でしか現れない。
- 勝たなくても続く
- 変えなくても支え合える
- 壊さなくても癒せる
それは、
反抗ではなく
持続の物語である。
母性経済革命とは、
ロックが描き切れなかった
ポスト・希望の設計図だ。
ロックは、
希望を書けなくなったのではない。
古い形式の希望を書くことを、
誠実さゆえに拒否したのだ。
その沈黙の先に、
私たちは今、
別の希望の語り方を
探している。
それは叫びではなく、
育てる言葉なのではなかったか。

