──プラットフォーム資本主義と収奪構造の解体から
母性経済革命へ

1.「音楽は誰のものか?」という、もっとも根源的な問い
音楽は、本来、
誰かが誰かのために奏で、
誰かが誰かと分かち合うための行為だった。
それは市場よりも先にあり、
産業よりも先にあり、
プラットフォームよりも、はるかに先に存在していた。
しかし現代において、
私たちはいつの間にか次のように思わされている。
- 音楽は「配信されるもの」
- 音楽は「アルゴリズムに推薦されるもの」
- 音楽は「消費されるコンテンツ」
- 音楽は「数字で評価される成果物」
ここで起きているのは、
単なるビジネスモデルの変化ではない。
音楽という文化そのものが、
プラットフォーム資本主義に“所有し直された”
という文明的転換である。
2.コンテンツ産業の基本構造
──「創る人」「媒介する人」「支配する人」
まず、構造を整理しよう。
従来のコンテンツ産業(レコード会社時代)
- 創作者(アーティスト)
- 媒介者(レーベル/流通)
- 受け手(リスナー)
この構造には多くの問題があったが、
少なくとも「音楽が価値の中心」にあった。
レーベルは搾取的であっても、
音楽そのものを売らなければ成立しなかった。
プラットフォーム時代の構造
- 創作者(音楽を作る)
- プラットフォーム(Spotify / YouTube / TikTok など)
- 広告主・投資家
- データ化されたリスナー
ここで決定的に変わったのは、
音楽が「商品」ではなく
「滞在時間を伸ばすための燃料」になった
という点である。
3.プラットフォームの利益構造
──それは「仲介」ではなく「収奪」である

プラットフォームは、
しばしばこう語られる。
- 「アーティストにチャンスを与える」
- 「誰でも音楽を届けられる」
- 「民主化された音楽産業」
だが、構造的に見ればこれは欺瞞に近い。
プラットフォームの本当の収益源
- 広告
- サブスクリプション
- 行動データ
- レコメンド最適化
- 投資評価(成長率)
音楽そのものは、利益の中心ではない。
音楽は、
- ユーザーを留めるための“餌”
- アルゴリズムを回すための素材
- 行動データを引き出すための刺激
として使われている。
アーティストはどう扱われるか
- 再生回数で評価される
- 単価は極端に低い
- 継続的な制作を強いられる
- アルゴリズムに“好かれる音”を要求される
- 沈黙や熟成が許されない
これは創作の自由ではない。
創作の「工業化」と「最適化」による支配である。
オーウェル的に言えば、
これは暴力ではなく、
効率と利便性による思想統制だ。
4.音楽の「楽しまれ方」はどう変質したか
構造は、体験を変える。
① 集中から分散へ
- アルバムを通して聴く → プレイリストで流す
- 物語を追う → 雰囲気だけ消費する
- 考えながら聴く → 作業BGMになる
音楽は「向き合う対象」から
「環境音」へと変えられた。
② 記憶から即時性へ
- 思い出と結びつく音楽 → その場限りの消費
- 繰り返し聴く → すぐ次へスキップ
これは感情の浅層化を引き起こす。
③ 共同体から孤立へ
- ライブハウス
- レコード屋
- ファン同士の会話
こうした「音楽を介した関係性」は弱まり、
イヤホンの中で完結する体験が主流になった。
音楽はつながりを生む力を、
意図的に削がれている。
5.これは音楽の問題ではない
──文明の「収奪モデル」の問題である
この構造は、音楽に限らない。
- 映像
- 文章
- イラスト
- ゲーム
- 知識
- 感情
- つながり
すべてが
プラットフォームの成長のために
無償で吸い上げられる資源
になっている。
これは資本主義の進化形ではない。
収奪の洗練形である。
6.「音楽を取り戻す」とは何を意味するのか

音楽を自分たちの手に取り戻す、とは
- プラットフォームを否定することではない
- テクノロジーを拒絶することでもない
それは、
価値の中心を「効率」から「関係性」へ戻すこと
である。
7.母性経済革命という終着点
ここで、母性経済革命が意味を持つ。
母性経済とは
- ケアを価値とする
- 時間を尊重する
- 非効率を許容する
- 関係性を資本とみなす
- 育成と持続を重視する
- 競争より共存を選ぶ
これは、
プラットフォーム経済と正反対の価値体系である。
音楽における母性経済革命
- 再生数ではなく「関係の深さ」を重視する
- 小さなコミュニティで支え合う
- アーティストの沈黙や変化を尊重する
- 生活と創作が両立できる経済をつくる
- 聴く側も“参加者”になる
音楽は再び、
「誰かのために鳴らされ、
誰かと共に育てられるもの」
へと戻っていく。
8.結論:音楽を取り戻すことは、
生き方を取り戻すことである
音楽が奪われたのは、
市場のせいではない。
効率を最優先する文明が、
ケアと関係性を軽視した結果である。
だからこそ、
音楽を取り戻すとは
- 人間性を取り戻すこと
- 弱さを肯定すること
- つながりを回復すること
- 経済を再設計すること
に他ならない。
ロックは壊した。
オーウェルは警告した。
そして今、私たちは選ばなければならない。
収奪を続ける文明か、
育てる文明か。
その分岐点に、
音楽は再び立っている。

