1989年になにが起きていたのか(世界史レベル)
まず事実から。
- ベルリンの壁崩壊
- 東欧革命の連鎖
- 冷戦終結の始動
- 中国では 天安門事件

世界秩序が一気に動いた年です。
冷戦という二極構造が崩れ、
「歴史の終わり」という言葉さえ語られ始めました。
当時の世相に“予感”はあったのか
1. 西側世界の空気
1980年代後半、西側世界はむしろ楽観的でした。
- 新自由主義の勝利
- 市場経済の拡大
- 技術革新
- 金融の自由化
冷戦の終焉は「危機」ではなく
勝利の物語として受け止められた。
ベルリンの壁が崩れるとは、
専門家ですら具体的に予測していませんでした。
2. 東側内部の構造変化
しかし構造的には、
- ミハイル・ゴルバチョフ のペレストロイカ
- グラスノスチによる情報開放
- 経済停滞
- 民族問題の噴出
すでに体制は持続不能な状態にあった。
準備はされていた。
だがそれは、
「崩壊の予告」ではなく
「改革の試み」として理解されていた。
つまり、
崩壊は準備されていたが、
崩壊だとは認識されていなかった。
日本にとっての1989年は
日本では別の意味で転換点でした。
- 昭和の終焉
- 昭和天皇 崩御
- 平成の始まり
政治的にも、
- 消費税導入(3%)
- リクルート事件
社会的にも揺れていた。
しかし同時に――
- 日経平均は史上最高値圏
- 地価は高騰
- 「Japan as No.1」の自信
日本は冷戦終結を「勝者」として迎えた。
ここに重要な点があります。
世界秩序の変化を、自国の構造問題として受け止めなかった。
冷戦終結は、日本にとっては
むしろ外部環境の安定と映った。
準備されていた構造的変化があった
いま振り返ると、1989年は次の時代を準備していました。
① グローバル資本主義の単極化
冷戦終結により、
- 市場経済が“唯一のモデル”になる
- 資本移動が加速
- 金融の力が増大
これは90年代以降の
金融主導型経済の拡張を準備した。
② 国家の役割の再定義
イデオロギー対立が弱まり、
- 国家の統制機能は後退
- 市場原理の優位
が進む。
その後の新自由主義的潮流の拡大は、
この年を境に加速した。
③ 技術革新の萌芽〜日本が出遅れてしまったこと
1989年、
- ティム・バーナーズ=リー が
World Wide Web構想を提案。
これは象徴的です。
冷戦終結とほぼ同時に、
インターネット時代が胎動している。
政治秩序と情報秩序が同時に転換し始めた。
世相に「準備の感覚」はあったのかと言うと
結論はこうです。
大衆レベルでは、ほとんどなかった。
- 西側は勝利の楽観
- 日本は繁栄の絶頂
- 東側は改革期待
崩壊を予感する空気は希薄だった。
しかし、
制度と構造は明確に臨界点にあった。
- 東側経済の持続不能
- グローバル資本の加速
- 情報革命の萌芽
- 金融の肥大
つまり、
感覚としての予感は弱かったが、
構造としての準備は完了していた。
1989年と1986年の連続性
1986年に始まった
- 金融緩和
- グローバル化
- 成熟モデルへの過信
は、1989年の世界的転換と接続する。
日本は、
- 冷戦終結
- 単極化
- 金融自由化
という新しい世界秩序に、
“勝者として”参加した。
しかしその構造は、
- 金融依存
- バブル肥大
- 産業転換の遅れ
を加速させたに過ぎなかったということ。
結論としてまとめると
1989年は、
- 世界秩序の崩壊の年
- 冷戦終結の年
- インターネットの胎動の年
- 日本にとっては繁栄の絶頂の年
だった。
世相としては、
勝利と期待の年
だった。
だが構造的には、
次の30年の不安定化を準備した年
である。
人々は崩壊を予感していなかった。
しかし制度はすでに、
次の時代へと静かに移行していた。




